「柔術 × ヴィーガン」プラントベースで目指した世界一-石井拓さん

ひつじの仲間はここにいる

世界で話題となっている「ヴィーガンアスリート」。動物性タンパク質を取らなくとも、普通の、いやそれ以上のパフォーマンス能力を発揮できると期待されている。そういったヴィーガンアスリートの存在は、まだまだヴィーガンさえ浸透してない日本では、それ自体なかなかの“レアもの”である。

だが、そんな日本にも本場アメリカでブラジリアン柔術に没頭し、数々の成績を収めてきた日本人がいる。

石井拓さん。

見た目や喋り方は一見して「格闘家」という姿をひそめているが、競技に取組む眼差しは一点の曇りもない。
柔術でヴィーガンという考え方を広めたいという石井さんに、これまでの競技への思いやスポーツとヴィーガンについて聞いた。

(取材・写真 神谷真奈)

勝てない。それでもこだわる。

ーまずブラジリアン柔術との出会いを教えてください。

年末にテレビで放映される「プライド」という総合格闘技の番組を見て、格闘技に興味を持ちました。中学生だったその頃、バスケットボール部に入っていたんですが、とにかく走る練習が嫌いだったので、全然楽しくありませんでした(笑)。

そんなこともあって高校進学を機に、一番身近な格闘技である柔道部に入部。総合格闘技の中でも、関節技や絞め技はよく使われるし、とにかく「かっこいい!」と感じていたので、柔道の中でも寝技をやりたいと思っていました。

しかし、入部して気づきました。周りは小さいころから柔道に打ち込んでいる人ばかりで、ほとんど勝つことができない。そして、憧れの寝技は柔道において、さほど重要視されていない。そのため、寝技の練習が全然できないんです(笑)。

また、立ち技はというと、これまたセンスがいるので、なかなか決まらない。寝技に持ち込めば、大概の場合仕切りなおされて立ち技に・・・・・・と、高校時代はまったく勝てませんでした。

それでも総合格闘技への憧れは捨てきれませんでした。それなら、競技もできて、勉強もできる環境に行こうと思いました。それでハワイへ。

ーいきなり海外に飛び出たわけですか。どうしてまたハワイに?

その当時、ブラジリアン柔術界でカリスマ的な人物であったBJ・ペンという選手の道場があったんです。史上初めてブラジル人以外で柔術世界選手権を優勝した選手として有名でハワイは彼の出身地でした。その人の道場で是非、教えを乞いたい。家族や友達の勧めもあって、ハワイに即決にしました。2010年の夏でした。

総合格闘技から「柔術専門」へ


技を決めようとする石井さん(右)。アメリカ留学時代はまさしく柔術漬けの日々が続いた

英語はできなかったので、まずは語学学校に1年ほど通って、2年制のハワイ短期大学教養部に入学しました。大学に通いながらも、あくまでメインは柔術でしたね(笑)。

ハワイに来て“人生初”となる「総合格闘技道場」に行くことになったんですが、まず最初に取り組んだのが、総合格闘技の基礎となる柔術の習得でした。柔術は寝技が中心となるんですが、その技は1000種類以上にも及ぶと言われていて、まずはその膨大な種類を覚えなければなりません。また、柔術特有の長い攻防戦にどう対応するか身に染み込ませていきます。

学校が終わった夕方から夜まで毎日3時間みっちりと道場で練習し、空き時間にはユーチューブを見て、著名な選手の技を研究しました。この時期はとにかく勉強しました。

柔術はこれまでやったことがない。ただ、不思議なくらい自然に体が付いてくるんです。そうしている間に柔術の魅力にどんどん引き込まれていって、いつのまにか総合格闘技は頭からなくなっていました(笑)。

ー総合格闘技をやるはずが、気が付いたら柔術専門になっていたわけですね。

そうですね。その当時ユーチューブでよく見ていたのが、日系ブラジル人のミヤオ兄弟という2人の選手でした。見た目はそんなにさえないように見えるんですが、とにかくすごい勢いで勝ち上がっていくんです。

その姿がかっこよくて、かっこよくて……さらに没頭しましたね。

実際のところ、どうしてここまでハマったのが自分でも不思議なくらいです。好きな理由、続けている理由は謎というか、今でも分からないですね(笑)。

生粋の“柔術バカ”


韓国で行ったセミナーの際の写真。柔術を通してたくさんの仲間と出会った

ーその後のハワイでの生活はどうなりましたか。

ハワイに来て2年経った頃に、実は道場を運営していた先生が急にいなくなってしまって、柔術を続ける環境がなくなってしまいました。当時の僕には柔術しかない。仲良くしていたアメリカ人のチームメイトも同じような感じで「これからどうしようか」と途方に暮れていました。

そんな時に世界大会で見かけたパンフレットである選手がアカデミーをオープンすると聞き、そのチームメイトが様子を見に行くといって、単身カリフォルニアへ。

が、案の定1カ月経っても帰って来ません。そんな時たまたま、そのチームメイトの奥さんに町でばったりと会い一緒にカリフォルニアに行かないかと誘われ、「それなら」と思い切って僕も付いていくことにしました。

ー学校も辞めてですか?

ハワイの短期大学からカリフォルニアの短期大学へ転入しました。完璧なる柔術バカですよね(笑)。周りはそんな人ばかりでしたから、疑問にも思わなかったんですが、柔術に入れ込んでいました。転入した大学は宿題も多かったので、両立するのはとてもハードでしたが、世界大会にも挑戦しました。負けっぱなしでしたが、良い刺激をもらいました。

苦手だった減量がヴィーガンで変わった

ーヴィーガンはいつから始めたのでしょう。

きっかけは友人からヴィーガンレストランを紹介されたことです。食生活のことに関心が高かったが友人が「こんな店あるよ」っておすすめしてくれて。

ちょうど格闘技を始める直前の2010年に、そのお店に試しに行ってみました。そうしたら、店長の話は面白いし、なによりヴィーガンって素晴らしいと感じました。1週間という短期間に、ほぼ毎日店に通い詰め、せっかくなので柔術界でもヴィーガンを広められないかと考え始めました。

そこで考えたのが、ヴィーガンだと公言して柔術の試合に出場し、勝つことでした。有名になることで、影響を与えることが出来ると思った。柔術を極めようというやる気がさらに湧きました。

さらに言うとヴィーガンは苦手としていた減量のやり方も変えることができるのではと思いました。

柔術はボクシングや他の格闘技と同じく、体重別に分かれていて、減量をしなければなりません。しかも、測定が自身の1試合目開始直前のため、体重計に乗って測定したら、直ぐに試合に向かわないといけません。そのため、減量しつつも、試合で動ける程度のコンディションに仕上げる必要があるため、大会前になると食事や練習量を変えるというのが大変なストレスになっていました。それなら、普段から減量している状態にすれば、良いのではないかと思ったんです。

日本から帰ってきて、さっそく仲良くしていたベジタリアンのチームメイトに色々とアドバイスを聞きながら、食生活を変えていきました。

最初は凄く不安でしたが、始めてみると、身体が軽く感じられ、何より練習中に気になっていた胃もたれがなくなりました。普段の練習も安定的に集中することができて、ヴィーガン食は自分の体に合っていると確信しました。

楽しんだ試合は優勝できた

アメリカナショナルで優勝した時の写真。勝つことは難しくなかったが、競技人生の中でも印象深い大会だった。

ーヴィーガンアスリートとして他にはどんなことに気を付けていましたか?

なるべく自然な食事をとりたかったのでサプリメントなどは取りませんでした。ホールフーズの考え方も取り入れて、全粒粉パスタや玄米を食べるようにしていました。その他にも、オメガ3を含む亜麻仁油などの良質な油や、生野菜、フルーツから酵素を取るように意識していました。

試合のパフォーマンスの質が上がったことはもちろん、万年悩まされていたアレルギー性鼻炎が改善され、普段の生活も随分と楽になりました。

ーどうして日本に帰国することになったのでしょう。

遂にビザが切れてしまったからです。精神的にも、これ以上アメリカにはいられなくなりました。そこから日本に帰ってきたわけですが、1年ぐらいはオーストラリアやアメリカなどでプライベートレッスンを行いました。

そして、たまたまアメリカ滞在時の2015年に、アメリカナショナル選手権に出場して64キロ級で優勝することができました。茶色の帯のカテゴリーで、勝つこと自体は難しくはない大会でしたが、すごくうれしかった。なぜなら、初めて楽しんで大会に出場することができたからです。

それまで出場する階級も道場で決められていて、自分で決めることができず、減量がすごく苦でした。勝ったことはラッキーだったと思っていますが、優勝を分かち合う友人もいて、印象に残る試合となりました。

力だけではない柔術の魅力

ー引退を決めたのは2018年1月でした。何がきっかけでしたか?

引退の少し前に柔術雑誌の記事編集に関わる機会があり、ヴィーガン柔術家であるヘンリー・エイキンス先生にインタビューすることできたんです。知り合いから無名だけど、すごい強いと聞いていて、実際に、練習をご一緒しました。

見た目は「普通の人」なのですが、いざやってみると評判通り、レベルが違うと実感しました。手をほとんど使われずに「参った」してしまって、一瞬にしてこれまで自分がやってきた柔術を「身体で否定された」感じでした。

現在、世界の主流は競技柔術です。筋力や運動量、スピードなど競技性やスポーツ性を高めたAOJ(Art of Jiujitsu)という流派が、世界中で人気を博しています。

一方で、エイキンス先生率いるヒクソン・グレイシー派は対極です。体の力を抜き、相手の力を使って、相手を制すという考えが根本にあり、護身術の要素が強いんです。また技の決め方や流れが重視され、見ていて実に芸術的。日本の合気道と似ているところがあるかもしれません。

その魅力にほれ込んだ僕は、17年に先生の下へ弟子入りし、これまで所属してきたAOJには別れを告げました。そのため、“引退”と言っても、柔術を辞めたわけではありません。自分の中では、柔術の新たな章が始まったといったような感じでしょうか。

ヴィーガンとグレイシー派柔術の共通点

師匠であるヘンリー・エイキンス(左から2番目)と石井さん(一番右)。ヘンリーさんの下には世界から生徒が集まる。

ヒクソン・グレイシー派に入って考え方も大きく変わりました。それまでは明確な「勝ち負け」というものがありました。競争に日々さらされることが、気づかないうちに精神的なしんどさを生んでいたと気付きました。そのため今は、随分と楽になった気がします。

また勝ち負けがないと、競技はスポーツではなく、人生のあり方になります。特にこの流派は「護身術」としての要素が強く、いかにして力の弱い者が「見えない力」(インビジブルと呼ばれる)を使って、強い者に勝つかということを大切にしています。精神力、哲学なども重視されるため、ここでは語りきれないほど、とても奥深いです。

ーなるほど。現在は地元からほど近い千葉県香取市でレッスンを行っています。これからどんなことを行っていきたいですか?

今は自分の道場ではなく、様々なスポーツを教える道場の1つの授業として柔術を教えています。教室の人数もまだまだ少ないなんですが、徐々に生徒さんが増えてきて本当にありがたいです。

僕は今の流派に入って日も浅く、まだまだ学びの途中です。今も年何回かアメリカに行って先生の下で練習にはげみ、彼の技や考え方、生き方を学びます。ちなみにですが彼もヴィーガンですし、彼は柔術だけでなく、人生の先生です。本当にかっこいいし、尊敬できる人物です。だから、まずは流派を極めたいと思っています。

ヴィーガンも、ヒクソン・グレイシー派もまだまだマイナー派で(笑)、具体的にこれから何かをやりたいということは決まっていません。しかし、何かしらのコミュニティを作っていきたいと感じています。

つい最近、近くにオーガニックスーパーができて、地元の野菜が多く置かれていたり、東京の方まで行かないと買えない調味料やビーガンフードか気軽に手に入るようになったりしたことが、本当に嬉しいです。こういった小さな変化でも良いので、徐々にオーガニックやヴィーガンが広がっていければと思っています。

★石井拓(いしい・たく)
1990年、千葉県佐倉市生まれ。SF映画などが好きで、スターウォーズなどが好き。現在は実家暮らし。
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Mana Kamiya

理事特定非営利活動法人 日本ヴィーガンコミュニティ
『ひつじの。』編集長。地元新聞社の記者になったのち、オーストラリア・メルボルンに移住。現地の日本語フリーペーパ誌でフリーランスライターをしながら、レストランやカフェのアルバイト、ツアーガイドなどを経験。2018年夏に日本に帰国したのち2018年10月より再び新聞社で働き始める傍ら「多様性のある社会」の実現を目指し、いろいろなことに挑戦中。趣味はクライミング。