「簡単、美味しい野菜料理を誰にでも」野菜料理家・庄司いずみさん~前編~

ひつじの仲間はここにいる

塩、しょうゆ、みそなど普段料理をしない人でも家にある“普通”の調味料を使って、誰でも美味しく、簡単に野菜料理を作る。そんなコンセプトで菜食を広めている第一人者がいます。庄司いずみさん。料理マニアでなくとも、菜食を実践している人であれば一度は聞いたことのある名前かもしれません。

そんな庄司さん、日本唯一の「野菜料理家」として2007年にブログデビュー。翌年には初のレシピ本を出版して以降、これまで70冊以上の本を執筆し、テレビ等にも多数出演をされてきました。また、15年には日本で初となるベジタリアン専用クッキングスタジオを東京・渋谷に設立。現在はオンラインサロンの開設など、精力的に活動する庄司さんですが、実は料理家になるまでには一筋縄ではいかない経験がありました。

「『一生野菜で生きていこう』と決めるまで3、4年。自信が持てず、決められなかった」。

庄司さんに、これまでの歩みと、現在取り組んでいる挑戦などについて話をお伺いしました。

(取材・写真 神谷真奈)

料理はライフスタイルの一部

ー「野菜料理家」としてこれまで70冊以上のレシピ本を出版されてきました。もともと料理家を目指していたのですか?

ブログを始めて、そして初となるレシピ本を出版した時でさえ、実は料理家として活動するなんて夢にも思っていませんでした。

料理は幼い頃から好きでした。小学校4年生の頃に肉、魚、野菜からなる3部作の料理本を母親からプレゼントでもらった程、当時はお菓子作りをしたり、家族のご飯を担当したりするのが好きでした。ただ、その頃から肉の味がそこまで好きではなく、魚も、特に刺身は独特の生臭い感じが苦手だったので、進んで食べるタイプではありませんでした。

県外の高校に進学して、1人で下宿生活をしていた時もなんとなく「野菜を食べないといけないな」といった感じで、野菜料理は頻繁に作っていました。ただ、料理が大好きというより、料理はライフスタイルの中の一部であり、自然と行う行動となっていきました。料理が職業になるとも考えたことはありませんでした。

食べているもので体が作られている

高校を卒業して、東京へ上京。実は俳優を目指して、劇団に入っていました。しかし、3年間やってみて、自分には才能がないと気づきました。いさぎよく諦めて、ライターをやろうと編集プロダクションへ入社。本が好きで、出版業は憧れの職種だったので、ガツガツと仕事をこなして、わずか1年で独立しました。28歳だったと思います。その後は、ライフスタイルをテーマに雑誌の記事を書くフリーのライターになりました。

ーバリバリのキャリアウーマンだったわけですね。その頃から菜食に興味を持ち始めたのでしょうか?

いえ、野菜というか、食べ物自体に注目を向けるきっかけになったのは、産後に乳腺炎を患ったからなんです。仕事を通して知り合った夫と結婚し、29歳で出産。自宅分娩で出産しました。

その時の助産師さんにも、特に乳腺炎には気をつけるようにと、素食を勧められていました。乳腺炎は、乳房の組織に細菌が入ることで引き起こる感染症のことですが、脂っこいものを食べることで、乳管の通りが悪くなり、発症することもあります。

そのため、出産前に自分で調理した食べ物も準備していましたが、何日も持つわけではない。すぐに食べきってしまい、その後は普段食べないできあいの弁当や、お見舞いに来てくれた方から頂いた甘味を連日食べ、出産3日後には炎症に。40度の高熱が出て、もがき苦しみました。
手術をして、症状は収まりましたが、急に怖くなったんです。「食べたものが体にダイレクトに出る。一体何を食べればいいんだろうか」と。

迷いながら、手探りで

産後落ち着いてから、素食や、菜食についていろいろと調べ始めました。

当時は“菜食”というと精進料理かマクロビの2択のみでした。ただ、精進料理は毎日食べる料理とは少し違うと思ったし、マクロビもさまざまな流派があってややこしく、こだわりが多い(笑)。どちらも、毎日の食生活の中ではあまり実践的ではないと思い、結局どちらも選びませんでした。ただ、確信したのは「野菜は体に良い」ということ。

小さい頃から肉も魚も好きではなかったから「辞められる」って分かった時はなんだろう、すっきりしました。「あ、食べなくて良いのか」って。

ーそれですぐにヴィーガンに?

いえ、そうではないんです。菜食が体に良いと分かっても、すぐにヴィーガン生活には移行できなかった。例えば、授乳期は体力を取られるので、みるみる内に痩せていきます。

そんな姿を見て家族は心配をするし、友人からも「顔色が悪いよ」「大丈夫?」とも言われました。実際に夫とも喧嘩が増えたし、自分自身も迷っていました。「これ食べてもいいのかな」「これなら大丈夫かな」と自信を持って食事ができない。食事を単純に楽しむことができませんでした。

そして、菜食を実践するのに、最後まで壁となったのが、“タンパク質信仰”でした。つまり「肉や魚を食べないとタンパク質足りない」と私も思い込んでいました。なので、3〜4年は迷いながらときどきは魚を取り入れていました。

しかし、「一生野菜だけで生きていこう」と決断できたのは、自分が納得できるまで調べることができたから。そして、何よりもそう決めて料理がまた楽しくなった。またわくわくしながら、台所に立てるようになったからですね。

夢への近道

ーどのようにして菜食のメニューを開拓していきましたか?

少し話したように、マクロビも精進料理も私のスタイルに合っていなかった。簡単に美味しくできる最初のレシピ本も皆無だったので、自分で作るしかなかった!(笑) 

いかに簡単に、おいしく、そしてたのしく野菜料理を作るか、 台所で実験を繰り返す生活が始まりました。ノーヒントの中で、本当に自由な発想でオリジナルレシピを作っていきました。肉の代わりに茄子を使ってハンバーグをつくったり、きゅうりをすりおろしてみたり……。

しかし、自分でも意外なことにも、この奇抜なアイディアがうまくハマったんです(笑)。私は調理学校はおろか、料理教室にも通ったことがありませんが、それが良かったのかも知れません。誰も知らないものを0から作る、そのクリエイティブな作業は無性に面白く、どんどん、どんどん新しいレシピを開発していきました。

「野菜料理の面白さを知ってほしい」。そう思い始めて、ブログを始めることにしました。


出産をきっかけに食べ物、料理に魅力を再び感じ始めた庄司さん。ブログを始めた先に待っていたのは思いもよらない料理家転向。次回は「野菜料理家」として一歩を踏み出した話を中心にお届けします。

★庄司いずみ(しょうじ・いずみ)
1965年、山口県岩国市出身。趣味も料理という生粋の料理研究家。なかなか行けていないが旅行が好きで、今年のはじめにもスイスやアムステムダムなどヨーロッパ諸国を訪れる。

庄司いずみ ベジタブル・クッキング・スタジオ
オンラインサロン『ベジタリアン・キュイジーヌ・サロン』
ブログ 『vege dining 野菜ごはん』


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Mana Kamiya

理事特定非営利活動法人 日本ヴィーガンコミュニティ
『ひつじの。』編集長。地元新聞社の記者になったのち、オーストラリア・メルボルンに移住。現地の日本語フリーペーパ誌でフリーランスライターをしながら、レストランやカフェのアルバイト、ツアーガイドなどを経験。2018年夏に日本に帰国したのち2018年10月より再び新聞社で働き始める傍ら「多様性のある社会」の実現を目指し、いろいろなことに挑戦中。趣味はクライミング。